ゆきゆきて、羽田空港

  • 携帯の歩数計を眺めていたら,去年の9月5日にある異常な歩数の高まりの存在が確認された.カレンダーを見ると九州行きのフライト予定とある.なるほど,そう言えばこの日は羽田空港までの電車賃を浮かせようと夜通し歩いた日だったのだった.と言うわけで思い出と写真フォルダを参考にしながら歩程を再現する.
  • とりあえず北千住から旅は始まった.東京の北端だし,目安として丁度良い.23時53分,北千住脱.日ごろ北千住と言えば通過するか,日比谷線に乗り換えるか,千代田線に乗り換えるか,常磐線に乗り換えるかでしか利用したことがない.治安の悪さで有名な足立区のボス的な駅だから,初めての途中下車に期待感が高まる.イメージとしては薬物中毒者で溢れかえるアメリカ西海岸のスラムだ.が,実際には異常な量のポイ捨てゴミと,歳に似合わない髪型のサラリーマンが騒ぐ飲み屋街くらいの要素のみで,むしろ宇都宮あたりの雰囲気を醸し出していた.特に用事もないので颯爽と駅前商店街を抜けて日光街道へ.
    北千住入り口


  • とにかくズンズン進む.目的は観光や街巡りではない.進軍なのだ.0時22分,隅田川に到達,我が軍の電撃的進軍速度を前に,敵は吾先に逃げ出し橋は無傷であった.その名も大橋.対向に一車線ずつの小さな橋であったが,人口過密でパーソナルスペースの確保が難しい都民にとってはそれは大層な大橋と呼ぶべきなのであろう.この辺りで右小指が擦れ始めて炎症を訴えくる.しかしそんなこともあろうかと絆創膏は持参済みである.素早く処置.これは散歩などではなく,立派な行進なのだから.ちなみに荷物の重量は6kgほどであった(空港で詰め込みの際に判明).九州五日分の衣服と試料採取に必要な岩石用ハンマー,クリノメータを詰め込んでいるのである.その様まさに行軍であろう.
    大橋
  • 0時44分,三ノ輪着.日比谷線だと南千住までは高架区間で,三ノ輪から先は地下を走るので,三ノ輪の地上風景は新鮮であった.頭の中で三ノ輪周辺のメンタルマップが更新され,これは半年後に私が荒川線ユーザーとなった際に大変役に立った(終点が三ノ輪なのである).いつしか日光通りは昭和通りに名前を変えていた.気づいたのは国際通りとの交差点からである.0時54分,三島神社通過.
    三ノ輪へ
  • 1時5分,上野公園外郭に到着.橋から上野駅構内を眺めるが当然列車も人の姿もない.しかしホーム上の蛍光灯だけは煌々と光り続けている.なんだか共産主義国家が採算度外視で作った巨大な駅のような雰囲気を醸し出している.1時18分,東京国立博物館前を通過.一応弊学の学生証だと無料で入場できるはずなのだが,当然門は固く閉ざされていた.驚くべきことに公園内にはかなりの数の人がいた.大別すると,ホームレスの老人たちと,少年少女たちである.少年少女たちは公園の噴水周辺を陣取って談笑に興じながら時折スケートボードに乗っていた.ホームレスの老人たちはと言うと,彼らは徒党を組むわけでもなく孤立した集落のように散らばっていた.残暑の厳しいこの時期,全身から汗を垂らしながら巨大なバックを背負う私はさぞ異質な存在だっただろう.早め買っておいた駄菓子で栄養補給し,1時30分,行軍再開.
    第一チェックポイント
  • 1時43分,アメ横ゲートに到着.ここでも当然往時の賑やかさは無く,堂々とネズミが闊歩する始末である.人気のない露店の感じが千と千尋の最初の雰囲気を思い出させてなんだか気分が悪い.5分で通過.
    チューチュー🐀

    了解
  • 2時4分,とらのあな秋葉原店跡地着.国破れてメロンあり.コロナ禍は同人業界にも暗い影を落としている.感染症対策とやらでそもそもイベントが開かれないし,そもそもオフラインの環境で売れないなら電子配布の方がよっぽど便利である.わざわざ紙で刷って売る必要もない,すると困るのは彼らのような紙の書店である.電子配布のプラットフォームはDLsiteなんかで開拓済みで既にニッチは空いていない.まぁその辺に関しての話は拙著,新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染拡大に伴う同人誌活動の実際について - アイドルマスターシャイニーカラーズの二次創作を基軸としてを読んで欲しい.2週間で書き上げた力作である.聖地ラ・アキハバについては,噂では聞いていたが,やはり空きテナントが目立っていた.兵どもが夢の跡である.2時9分,万世橋を通過.その日も神田川は濁っていた.万世橋南端下の謎の空間について,調査したネット記事があった気がしたが忘れていたので再検索.なるほど,船着場説が有力らしい.
    聖地ラ・アキハバ
  • 2時18分,神田駅東口到着.2時27分,日本橋三越到着.当然人っこ1人いない.2時31分,日本橋通過.2時33分,日本国道路元標を収鋲.日本橋と言えば誰しもは耳にしたことのあるであろう国道の起点であるが,実際に訪れてみると拍子抜けする人が多いのではないだろうか.私が思うに,その理由の一つに立体交差する首都高の存在はあるであろう.どうやら首都高は近年地下に移設されるらしく,かつての日本橋の威容を取り戻すらしい.しかしあの姿に慣れ親しんだ身としては,青天井になった日本橋が無防備な気がしてならない.しかし確か映画パトレイバー2では,陸自のヘリから放たれたミサイルが首都高の合間を縫って綺麗に橋だけを破壊していたような気がする.ならばその無防備さもあまり心配いらないかもしれない.
    第二チェックポイント
  • 2時54分,銀座通過.人っこ1人いない.異様である.銀座三越を収鋲.どうしてもシン・ゴジラで真っ二つになるシーンが浮かぶ.同じ構図で写真を撮って,二つを並べてツイート.
  • 3時4分,歌舞伎座着.荘厳な建物だった.3時7分,思い出の築地川銀座公園へ.3時17分,築地場外市場に入る.流石にどの店もシャッターを閉めていた.有名な漫画のコマに「寝てる間があったら市場へ来な!!築地は2時からやってるぜ!!」と言うのがあるが,3時着であるため教えはまだ乞えそうにない.
  • 3時23分,マグロ塚を収鋲.念々.

    念々
  • 3時30分,浜離宮庭園を通過.何度かこの場所で開催される大茶会に申し込んでいるのだが,抽選落ちし続けて参加に至らず.この辺りから足が深刻な痛みを訴え始め,また街並みは観光地の連続から単調な港湾施設に移り始める.ここからは本当に過酷だった(泣).
    足の痛みが限界突破

    なんの試験の時間なんだ
  • 4時8分,東京労働局 海岸庁舎を通過.アルバイトはしてませんが,同人誌で一定の収入を得ています,無職じゃないよ,本当だよ.
  • この辺りで収鋲履歴が少なくなり始める.理由としては,写すランドマークが少なくなったのと,単純な疲労である.4時43分,天王洲アイル駅.女優さんにありそうな名前.この一年後,この周辺に知人宅があることが判明した.少し休ませて貰えばよかった(朝5時).
  • 5時8分,357号線を歩いて大井埠頭に上陸.競馬用のマークシートが大量に散乱していたが,まぁその時の情景はあまり想像したくなかった.気分よく振り撒いたわけではないだろう.海岸沿いを歩く.5時15分,あたりは明るくなって釣り老人と猫のペアを発見.ランナーがちらほら現れ始める.高そうなランニングウェアに高そうなランニングシューズを装備している.そんなものを身につけなくても,大量生産のスニーカーに6kgの荷物を背負って20km近い距離を歩けば十分である.形からしか入れないのならそれは一流と言えようか?
    明るくなってきたぜ
    疲れすぎてカメラをまっすぐ持つこともピントを合わせることも出来ない
  • 5時53分,大井斎場を通過.この頃,ついに足の痛みを超えて腰痛が優勢になる.15分の休憩を行ったが,既に痛みは極限に達していた.羽田が旅のゴールなら,私は行軍を継続していただろうが,しかし今は,あいにくこれから控える5日間の九州巡検の0日目である.身体の故障はなんとしても避けたかった.苦渋の決断.流通センターから東京モノレールに乗車.しかし徒歩の本来の目的である交通費の削減は断固として貫徹されなければならない.私は国内線ターミナルである終点・第1ターミナルでは降りず,第3ターミナルで途中下車.無料送迎バスで第1ターミナルへ.おそらく数十円は浮いた.
    てかこれ乗る方が早いし安牌じゃね?

    空港内でサロンパスを購入.トイレに籠って腰と脹脛に貼り休息.歩数は40kを記録していた.コミケだと平均して30kほどなので,荷物の重量と高低差を考えると流石に限界に近かった気がする.ここで飛行機を乗り過ごしたら洒落にならないので,早々に保安検査を通過し睡魔と戦いながら待機.無事に九州に辿り着いた.